ninninpapa’s blog

メンタルを整えていきましょう♪

仕事をしながら治療して、ようやくうつ病が治った11(うつ抜けたかな)

抗うつ剤を卒業して1か月半した1月中旬ごろに久々に病院に行きました。
近況をいろいろ語って、これからは調子が悪かったら来ますか?と質問されたので、3か月後に一応予約いれさせてくだい、と答えておきました。


先生にうつ病としての治療卒業のお墨付きをもらったのはうれしかったですが、自分自身まだつながっている安心感を求めていたので、3か月後に予約いれさせていただきました。

まだ再発の怖さを抱えているのは正直あります。(先生によると、1か月後、3か月後、1年後に再発に気を付けましょう、とのことです。何か治療後の統計的な傾向があるのでしょうか。。。)

 

いまは日々淡々と過ごしている感じです。
そしてこれからも淡々と過ごせばいいのかな、なんてぼんやり考えいます。

 


減薬して最後の1粒を2日置きに飲んでいた秋ごろ、
ダイレクトメールか何かで以前ファミリーで出場した駅伝大会が3年ぶりぐらいに開催されるお知らせが来ました。


楽しかった思い出のある大会なので、
久々に家族で出てもいいな~と思い、奥さんや子供達に声をかけると、
2つ返事でOKしてもらいました。

上の子は部活とかぶったため参加できませんでしたが、
息子と奥さんと自分の3人で駅伝大会に行ってきました。


当日は秋晴れで、その日は朝起きて出かけるときも特に億劫な気持ちはなく、
会場に着いた時も3年前のことを思い出し、
こんなシーンあったな、などと回想に浸っていました。

着替えてからリレー形式の会場に移動して、
そこで家族で体操して、スタートまで待ちます。
会場にも日の光が差して、なんだか暖かかった気がします。

息子からタスキを受け取り、走りはじめます。
大会で走ること自体が久々だったので、
帰ってきたな~などと思いながら、
青空を眺めて、これってうつが抜けたんじゃないか、と感じてきました。


すごくうれしかったです。
走りながら涙が出てきそうになりました。

長かったな、よくがんばったな、と自分を褒めてあげながら走っていました。

この病気の特徴の1つが病気と平常の境目がよくわからないことです。
今でも正直よくわかりません。
抗うつ剤なしでも普通に生活している。


それが実感できれば平常に戻っている、と言えるのか。
再発にびくびくする自分も同時にいます。
心理的なブレーキがいつも頭の片隅にあり、
無理しないようにしよう、といった気持をもって生活しています。

薬を飲んでいない今でも、病院は念のため予約して通院しています。
どこかでお世話になった先生とつながっている、
といった安心感が、何か薬のような効き目を与えてくれている気がします。

シリーズで書いてみましたが、ひととおり治療のことを振り返れた気がしてます。
が、何か書き忘れたこと、これからのメンタルヘルスのこと、などを今後も記録していきたいと思ってます。

 

 

 

仕事をしながら治療して、ようやくうつ病が治った10(減薬のカウントダウン)

まぶしい晴天の校庭で、子供たちと白球を追いかけていると、
なんだかすがすがしい気持ちになります。
子供たちの笑顔でしょうか?
それとも太陽のおかげ?


いずれにせよメンタルヘルスには、太陽、笑顔はキーポイントですね。
冬の晴天の日の昼間は、日差しが柔らかくて心地いいです。
子供のころに戻って、童心を思い出すようです。

でも子供って自由気ままで、次の日は今日は野球いいや、と言い出して、
相手にしてくれない日もあります。


そんなときは仕方なく、自転車にのって川沿いのサイクリングロードを走ります。
これがノルマになってしまうとしんどいですが、そうならないように自分のペースや頻度で走るように心がけます。

そうそう鬼滅の刃が見れるようになりました。
(スイマセン、これはうつ病真っ只中の人にはおすすめしません。ちょっとグロテスクで、特に暗い描写があるからです。でも、良くなったら面白いので観てみてください。)


時間があるときに続きのアニメの章を観ました。


 

もう1つ余談です。
だんだん頭が働くようになって、仕事ができるようになってきてから、
また欲が出てきました。


出世欲とかそういったものでしょうか。
ついつい自分と周りを比べてしまい、なんかもやもやした気持ちになってしまいます。
うつ真っ只中のころは、普通に働けるように戻れればそれでいい、
などと思ってましたが最近はまた周りが気になりはじめました。


いかんいかん、と心の中では感じています。
人と比べるのではなく、過去の自分と比べて成長を実感していく、と肝に銘じています。

組織も人事や待遇などを通して社内で競争をさせ、
利益を最大化していくような経営の仕方です。
(競争より働きやすさを優先している組織もあると思いますが、
まだまだ競争とか実力主義とか,最近ではジョブ型といった働き方も出てきました。行き過ぎた競争は怖いものです。)


そうは思っているものの、競争の中に無意識に乗せられて、
気づいたらもがいている、といった状態でした。


ちょっと距離を置いた自分を通して見つめ直そうと思います。


 

今日は減薬の折り返しから振り返りたいと思います。
学校が夏休みに入るころには、サインバルタの1日の量が30mgにはなっていたと思います。
このころは減薬の許可が出るごとに少しうれしくなってました。

夏休みの旅行計画も立てられるぐらいにはなっていて、
キャンプなどの計画も家族と相談しながら練っていました。
(以前は早々と宿を予約して、奥さんから聞いてないよ、と怒られることもあり、最近はきちんと相談するように心がけてます。)


それと年1回自分の両親と旅行するのがこの夏休みで、
昨年のうつ病真っ只中の時は、子供達をおじいちゃんに預けて、
自分はお家で奥さんと待っていたと思います。
でも、この減薬中の夏休みは2年ぶりに夏の旅行に顔を出せました。

 

その夏休みぐらいの通院で、おじいちゃんとの旅行の話を先生にしたら、
「旅行中は久々にアルコールが飲みたくなってくるかもしれませんね。」
と声をかけられ、
これは遠まわしにアルコールOKなのか、と早とちりして、
夏休みに家族でキャンプに行ったあたりからですが、
週1回程度ビールなどを飲むようになりました。
(これも記事には書いてみたもののオススメできるものではないです。ただし、アルコールはNGというお医者さんもいたり、ちょっとぐらいはOkというお医者さんもいたりで、正直正解はわからないです。)

 

久々に飲むビールは懐かしい味でした。
350mlの缶ビールをちょっと飲んだだけで酔っていた記憶があります。
昔は2~3本なんて当たり前でしたが、
1年以上アルコールを抜いたおかげで、ちょっと飲んだだけで満足する体質になりました。

以前、記事にも書きましたが夏休み明けの秋の入り口ごろに、
友達の結婚式があり、その頃にはアルコールをちょっとは飲んでいたい気持ちもあり、飲みだしたのも理由の1つです。

久々に会う学生時代の友達にはうつ病になった話をしました。
皆、一様に驚いてましたが、気を効かせて2次会はアルコールでなく、
お茶の飲める店を選んでくれました。


飲み会自体もコロナ禍とうつ病になったおかげでいかなくなったせいか、
家族以外の人との飲食は久々で新鮮でした。
心の許せる仲間との話は、これもメンタルヘルスには最高ですね。

夏休みの旅行はちょっと出かける前は億劫でしたが楽しみつつ、
5週間に10mgづつ減薬して、秋に入るころには最低の1日10mgまでになったと思います。
この時期はいくつかうつを抜けたな、などと感じる場面が出てきました。
次回はうつ抜けと感じたシーンをいくつか振り返りたいと思います。

 

 

 

仕事をしながら治療して、ようやくうつ病が治った9(日々のルーティン)

3年ぶりの平穏なお正月を迎えています。
おととしはなんかそわそわしてました。一人で仕事を抱え込んで、

そのまま突っ走っていたけど、結果がそんなに出ずもがいていて、どうすればいいんだ、などと思っていたと思います。


そして昨年はうつ病真っ只中で寛解しました、と言われたもののイマイチ実感がわかずにいた頃です。

 

家族で近所の初詣に行って、ちょっと資格のお勉強をして、箱根駅伝のTVを眺めながら記事を書いています。

 


 

さて、2022年の5月以降にふたたび減薬してみましょう、という話になって、ちょっとうれしかったです。
その後の夏を迎えるまでは実はあんまり記憶に残っていることが少ないです。
毎日が淡々としていた、といった言葉が当てはまると思います。
5週間ごとに10mgづつサインバルタ(デュロキセチン)を減らしていってました。10mg減薬して2週間後に通院して、問題なければ3週間後にまた通院して10mg減らす、といったサイクルでした。

 

平日は朝6時半には起床して20分~30分かからないくらい散歩して、ご飯を食べて、資格の勉強を1時間ぐらいこなして、9時前には在宅勤務を開始する、といったルーティンをしていました。


昼ごはんのときにまた30分ぐらい近所を散歩してから昼飯を食べる、そして午後の勤務をして、6時か6時半ぐらいには上がって近所のスポーツセンターで軽くランニングをする、といった習慣がありました。

 

休日はソフトボールの練習があるとそちらに参加して汗を流し、午後は比較的ゆっくり過ごして掃除をしたり、夕方は行きつけの焼き鳥屋さんで焼き鳥を買いに行ったり、していたと思います。


時間があれば川沿いのサイクリングロードをサイクリングしたり、スポーツクラブで水泳の練習会があるときは泳ぎに行ってました。

夜はご飯食べてから少し時間があるので、アマゾンプライムでキングダムとか、弱虫ペダルなんかのアニメを見ていたと思います。


今まで見ていなかったけど面白そうなアニメを探して割と夢中になってました。
うつ病になって一時はTVも見れませんでしたが、

このころはTVに入り込むこともできるくらいにはなってました。

(なので、2021年の東京オリンピックはあんまり記憶がありません。TVを見ているようで見れていなかった頃です。)

 

とにかく劇的によくなる、というよりは日々ちょっとづつ回復していくのが病気の特徴と思われますので、この日々のルーティンはある意味、病気の治療の延長線上の生活の仕方としては効き目があったのかな、と今でも感じています。

 

ここからは全くの私見ですがうつ病の回復過程で脳の中で起こっていることを想像してみたいと思います。


抗うつ剤は、自分の場合はSNRIを利用しました。
まず脳の中のセトロニン、ノルアドレナリンの濃度を一時的に増やすことで、ある意味で脳をだまして、もう治ったかのように見せかけている状態を作ります。
セトロニン、ノルアドレナリンの濃度が増えると、脳の中で知的活動が再開できますので、日々できなかったことが徐々に回復してできるようになってきます。


日々の生活が安定してきて、睡眠の質が安定してくるとそこではじめて脳が回復してくるのかな、と思います。
毎日の活動量が増えると日中のセロトニンの量も安定して増えて、
その結果、夜はメラトニンの量が増えて、睡眠の質が上がってきます。
睡眠のときに脳の掃除が行われて、うつ病状態からの回復ができてくる、といったことが起きている、と想像してます。

うつ病のメカニズムが解明されていない今日ですが、
実際に経験して感じたことは、
抗うつ剤が脳の回復の手助けをしてくれて、
実際に回復するのが脳の回復力なのかな、と想像してます。
(これは私見ですので医学的な根拠は今のところないです。)

 

脳の回復力を引き出す状態にどうやって持っていくのか、
これが治療の1つのポイントではないかと思ってます。
お医者さんは薬でそのきっかけを作ってくれて、
毎日の生活や日々の通院で脳が回復していく過程を全体として作ってくれているのかな、と感じている今日この頃です。

 

ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
次回は減薬折り返しの30mgあたりから振り返ってみたいと思います。

 

仕事をしながら治療して、ようやくうつ病が治った8(余談-年末の大掃除)

年末掃除していたらこんなものが出てきました。

(うつ真っ只中の昨年は掃除が手につかず2年ぶりの大掃除です。)

昔もらった子供達からの手紙です。
こういうのはなかなか捨てづらいです。
ということで、またしまってしまいました!

子供達からの手紙

 

今日は小休止しようと思います。
怒涛のように回復過程を振り返って少々立ち止まってみたくなりました。

1つだけメッセージがあります。
似たような境遇で苦しんでおられる方へ
どうか家族や職場や親や兄弟など頼ってください。
病院の先生に心境を語ってもよいと思います。
1人でため込まないでください。

治療開始初期のころはカウンセリングや認知行動療法などを結構探していました。

結果的に薬物療法でなんとか回復まで持って行けたのですが、当時は何かと薬に頼らない方法を探しておりました。カウンセリングなどは何かと経費がかかるものです。

そこで1つおすすめなのが近場でボランティアでうつ病支援を行っている団体などを探してみてください。(最近はオンラインなどもあります。)
奥さんが家から2駅ぐらいのところにうつ病の互助会みたいなものを見つけてくれて、1月か2月に1回ペースで通っておりました。そこではうつ病について、思いの丈を吐き出すことができました。
病気の特徴なのか親しい人ぐらいにしか話せないですが、

そこではうつ病に関心のある人が集まっていて、いろいろと突っ込んだ話ができました。
非常にありがたい集まりでした。
今でも参加できるときは参加しています。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
さて明日ももう少し掃除でもしようかな。

 

 

 

仕事をしながら治療して、ようやくうつ病が治った7(うつ抜けの2歩目)

抗うつ剤を完全に卒業して1か月は経過しました。
けがとかはありましたが平穏な日々が続いております。
結婚したてのころに夢描いていたことがあります。
子供とキャッチボールをすることです。
ちょっとずつですが最近小学生の息子とキャッチボールするようになりました。まだ当たったら痛いので慣れるまではテニスボールを使っています。
日常の中に小さな幸せを見つけられるようになりました。

 

そもそもうつ病の記事を書こうと思ったのは僕自身ある人のうつ病のブログに励まされたからです。どうやったら病気を治せるのか、うつ病真っ只中の当時はひたすらインターネットを検索したりして、手がかりをつかもうとしてました。
百人百様の病気ですから、ある人の治療経過が他の人にそっくりそのまま当てはまることはないです。
が、それでもうつ病の治る過程をいろいろ知りたいと必死でした。


治った人のブログを見つけて参考になりそうな部分を読むと、トンネルの中に光がちょっとだけ射したような気持になりました。


 

2022年のGW明けに家族でキャンプに行くことにしました。
計画を立てたのが3月ごろで、まだ億劫感があり、休日のだるさはの残ってましたが、旅行計画を立てるぐらいの頭は働いていたと思います。


キャンプ場は家から車で1時間半ぐらいのところで1か所、2日目にもう1か所予約し、4月はもう少し体調を整えるぞ、と思っていた矢先の4月にコロナに罹りました。子供が外から持ってきて一家で感染した次第です。

ちょうど一度目の減薬にチャレンジしていたのもこの時期で、2週間ほど経って調子が悪くなっていたので、50mg→60mgへの1日のサインバルタの量もお医者さんに連絡して戻した記憶があります。
「いつか薬を飲まないでいられる日が来ます。」と励まされました。

GWに旅行計画を立てたので、そこは体調が整った状態で迎えたいと思い、

4月はその後毎日規則正しく生活していました。
仕事の方はというと、4月に新しく配属された人がいたので、その人のサポートになるべく入って、フォローしていた気がします。
結果的にはその人が入ってきてくれて、孤独感が一気に抜けて、仕事のメンタルが安定した気がします。

今からでも遅くはないと思いますが「ありがとう。」と言いたいです。

 

GWのキャンプの移動はなんかそわそわしてました。
まだ、うつ病の落ち着きのなさ、とか不安感が残っていてのことだと思います。
キャンプ場でのたき火はちょっと寒さがありましたが落ち着きました。
人間炎を見るとなんか落ち着くんですね。
ゆっくりと薪を入れながら、炎を眺めて心が癒されました。
2日目の夜は外でBBQをしました。


こちらも久々のキャンプ場でのBBQです。肉や野菜を焼いたり、炭火の量を気にしたりしているうちに久々に頭の中も空っぽにできたのです。
仕事から離れて、自然の中でBBQして過ごす、ことは何度か経験してましたが、病気を抱えて過ごした時間はなんか新鮮でした。

 

GW明けの通院で先生に旅行の話や、久々に頭が空っぽになった話をしました。
そこで今度は先生の方から減薬の提案をしてくれました。


自分ももともと減薬志望だったので、すぐに受け入れて2回目の減薬を実行することにしました。再度、60mg→50mg への1日の量の減薬です。
これ以降は5週間ずつぐらいで10mgごとに減薬していくのですが、
それはまた次回の記事にしたいと思います。
(5月から夏にかけて規則正しい生活を続けてきたおかげか、この後は減薬もつまづくことはなかったです。)

 


ここからは余談ですが、うつ病になるくらい仕事を頑張らなければならない背景の1つに日本の住宅価格が高いことがあるかと思います。
昭和の古い時代は年収のせいぜい2倍とかだった住宅価格がバブル期からどんどん高騰して、今は年収の5倍も超える価格の物件とかも都心ではあります。(田舎に引っ越せば、という話にもなりますが、子育て世帯には動きにくい事情もあります。)

都心の生産緑地が2022年を境に住宅地に移り変わっていけば住宅価格も下がっていくのではないか、という憶測もありますが、今のところまだ実感できるだけ住宅価格が下がっているわけではないです。

 

 

 

不動産関連のことはもう少し整理して記事にできたら、と思ってます。
長くなりましたがここまで読んでいただきありがとうございます。

仕事をしながら治療して、ようやくうつ病が治った6(うつ抜けの1歩)

先日ケガをしました、と書きましたが、実は手の指を複雑骨折して手術しました。
人生初の手術でしたが、ようやく抗うつ剤を卒業できてまもない時期で、なんでこんな時なんだ、と思いながらも、リハビリを頑張りすぎたかもな、と開き直っています。
つい数週間前ですが手術台に載ってきました。
この時ばかりは手術する先生も周りのスタッフも気にかけてくれて、いろいろ声をかけてくれます。
「大丈夫ですか?」
「寒かったら言ってくださいね。」
きっと赤ん坊もこんな気持ちなんだろうな~なんて思いながら麻酔をかけてもらいます。次第に手の感覚が薄れていく中で、ちょっと涙が出そうでした。
あの時職場でもう少し気にかけてもらっていたらうつ病にならなくて済んだのにな、と思いながら。

 

生まれたての赤ん坊でうつ病という話はないですよね。
周りが気にかけてくれて、本人はおなかがすいたり、おむつが気持ち悪かったりしたら、泣いて現状を訴えて面倒を見てくれるお母さん・お父さんたちに伝えます。


成長するにつれてだんだんと自分でできることが増えるから、こういった周りに何かを訴えたりすることも大人になると忘れてしまうのですかね。


(なんだかんだで2時間ほどで手術は無事終わりました。その日の夜まで麻酔は効いていて、不自由な手でお昼過ぎに病院を出て、その日は家でじっとしていました。)


 

今回は年明けの2022年はじめのころを振り返りたいと思います。

仕事はなんとかこなせるようになったものの、休日はサイクリングとかプールで泳ぐ以外は横になってゴロゴロしていた時間が長かったです。
まだ億劫な状態が続いており、正直やる気が起きなかった、といったところです。
でも、何にもしないと暇でしょうがなかったです。


そのころ奥さんが見ていたのがNHKの朝ドラで、カムカムエヴリバディでした。
面白いというので自分も2月ごろからなんとなく見てみましたが、視聴するにつれてドラマの最初の方も見てみたくなり、U-Nextの30日無料とNHKオンデマンドを申し込んでみました。


週末を中心に1日10話ぐらいは見ていたと思います。3月の週末、自分の生活はカムカムエヴリバディが中心でした。
何かに夢中になるのが治癒につながっていのか、治ってきて何かに夢中になるのか、正直いうと順番はわかりませんが、生活はちょっとずつ充実感が出てきました。

このころは、サインバルタ(デュロキセチン)をMAXの1日60mg飲んでましたが、次第に減薬を意識してきました。
一度、減薬の許可が降りてチャレンジしたのもこの時期です。
結果的に一度目はうまくいかなかったのですが、先生には「いつか薬を飲まなくてもよくなる日は来ますから大丈夫です。」と声をかけてもらってちょっと励まされました。

 

GW明けに2回目の減薬許可が降りるのですが今日はここまでにしたいと思います。次回は、春先からGWあたりの生活を振り返っていきたいと思います。久々に頭を空っぽにできた体験がありました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

PS. U-NEXTは申し込んでから30日無料でしたが、NHKオンデマンドは毎月いくらという換算でしたので、月またぎするともう1月分請求されますのでご注意ください。

 

仕事をしながら治療して、ようやくうつ病が治った5(仕事の変化)

最近ようやく冷静に自分がなぜうつ病になったのか、振り返ることができるようになりました。
新規事業を立ち上げようと5年ほど前に新しい部署に配属されて、当時はサービスのコンセプトから、仕組みづくりまでを手掛け始めていたと思います。

新規サービスの立ち上げプロジェクトにかかわる人もそれなりにいて、多いときは7~8人はいたと思います。
なかなか面白そうなプロジェクトで仕事にものめりこんでいき、毎日夢中でした。このプロジェクトを成功させて、キャリアをアップしたい、そんな思いも当時は抱いていたと思います。


サービス立ち上げ当初はタイミングとかもあったのでしょうが、運よくお客さんがすぐにつきました。このペースで顧客を増やしていけば数年後にはもっと大きなサービスになっているだろうな、と思い描きながらの仕事でした。


ただ、その後はお客さんの増えるペースもさほど伸びずに1年が過ぎていきました。2年目に大きな商談が舞い込み、当時でもチームとしては4~5人かかわっていたと思います。提案書を作成しながら顧客にプレゼンして、なんとか受注へ結びつけようと動いてました。コンペでしたが、残念なことにライバル企業に負けて、その案件自体は終わってしまいました。


3年目になってまた大きな転機がありました。ビジネスを引っ張っていた上司がいきなり退職したことです。中心人物がいなくなり、それでもサービスの成功を夢描いていた自分は、必至でサービス維持に努めていました。周りの協力も浅はかになってきたのもこのころです。


次第に周囲もサービスの拡販に協力してくれなくなり(というか明らかに嫌がらせじみた非協力な振る舞いをとある営業から受けていたこともあり)、そのまま一人でサービス自体を抱え込んでしまうことになっていきました。新し上司は新規事業自体の理解やサービス拡大といったことには疎く、相談しても特に明確な返事もなく、次第に相談もしなくなっていったと思います。


そんなわけで2年程ほぼ1人でサービスの維持をしていましたが、2021年のはじめに次第に眠れなくなっていき、ついにうつ病を発症したという次第です。


 

前置きが長くなりましたが、今日は2021年末に寛解してから年明けの仕事の変化について振り返りたいと思います。
うつ病発症の当初は、会社の産業医にも相談して、産業医経由で会社にも報告していました。ただ、産業医の先生がいまいち合わず、相談していても途中で話を打ち切ったりして、自分も産業医の先生との面談をしなくなっていきました。
もちろん2021年の中頃からいまお世話になっている病院の先生のところへの通院は続けていました。
こういった経緯から会社の方も特に気にする様子もなくなり、年明けに新規部署への異動が言い渡されました。さすがに治療中の身だったので、現状はよくなっているもののまだ治療中です、みたいな話をして、組織上は新部署でしたが、引き続き携わっていた仕事もやっていく、みたいな話で調整してもらいました。


治療中の状態で新部署とはまた無茶な話だと思いながら、結果的にはこの2022年に回復まで至った要因だったのかな、と感じてます。


以前携わっていた仕事をこなしているときは落ち着いていて、新しい仕事を開拓しながら気持ちのバランスを保っていたと思います。次第に新しい仕事を創っていきながら、また、4月には人員の増強もあり、ちょっとづつですが仕事への自信が回復していきました。
2022年の後半には新部署での仕事もだいぶ形になってきて、それとともにメンタルの方もだいぶ安定していき、旧部署の仕事も引き継ぎしつつ、サポート的に入ることにしました。

今日はだいぶ仕事の話に偏ってしまいましたが、今一番心がけていることは、

  • プロジェクトを進めるときは常にチームや周囲を意識して足並みをそろえながら進める

ということです。
これにより、孤独感を感じずに、周囲との信頼しあえる間柄を築けて、メンタルには非常によいな、と思うようになりました。


ここまで読んでいただきありがとうございました。次回こそは、休みの日にTVドラマに夢中になって症状が安定していった話を書きたいと思います。

 

メンタルヘルス+仕事をする上での心構えなどに役立った本です。

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